「おんせん県おおいた」の県庁所在地大分市。九州の東に位置するという地理的な条件もあり、大分県と四国、関西を結ぶフェリーの定期航路が運航されています。西大分地区は市民、県民が「憩い・賑わい・癒し」のオアシスとして期待されるウォーターフロントとして整備が進められています。そんな西大分地区にある西大分フェリーターミナルについて紹介します。
西大分フェリーターミナル
乗り場を発着するフェリー 「さんふらわあ」
西大分フェリーターミナルは大分と神戸を結ぶ「さんふらわあ」の乗り場です。「さんふらわあごーるど」「さんふらわあぱーる」の2隻の船で大分と神戸を結んでいます。かつては「ダイヤモンドフェリー」というフェリー会社が運航していました。「さんふらわあ」は別府と大阪を結ぶフェリーも運航しています。こちらのフェリーの乗り場が別府国際観光港です。
乗り場へのアクセス
西大分港フェリーターミナルの最寄り駅はJR大分駅の隣、JR西大分駅です。JR西大分駅からフェリー乗り場まで徒歩約10分です。またバスではJR大分駅から大分交通の別府方面行き(関の江・鉄輪・国東)のバスに乗車 して「王子港町」というバス停で下車します。バス停からフェリー乗り場まで徒歩で約4分です。東九州の大動脈、国道10号線が近いこともあり、車でのアクセスも容易です。お隣の別府市にある別府国際観光港も交通アクセスが至便。フェリー乗り場へのアクセスは抜群です。
南蛮貿易で栄えた豊後府内
大分市は江戸時代以前は「府内」と呼ばれていました。鎌倉時代から安土桃山時代にかけて大友氏が治めていました。キリシタン大名として知られる大友宗麟は西洋文化を積極的に取り入れ、南蛮貿易にも力を注ぎ、ポルトガルや明との交易を行いました。当時の府内の町は異国情緒溢れ、活気に満ちていました。交易場となっていたのが西大分フェリーターミナルから程近くにある「神宮寺浦公園」。公園には大友宗麟の像が立っています。大分市内にある遊歩公園には西洋医術発祥記念像、西洋演劇発祥記念像、西洋音楽発祥記念碑といった当時の府内の繁栄と先進性を伝える彫刻があります。
かんたん港園
西大分港フェリーターミナル一帯は国土交通省が進めている「みなとオアシス」に登録されています。「みなとオアシス」とは、海浜・旅客ターミナル・広場などみなとの施設やスペースを活用して住民参加型の継続的な地域振興に係わる取り組みが行われる、地域交流拠点施設及び地区(港湾区域、臨港地区、港湾区域・臨港地区と一体的に利用される地区)のことで、みなと・海岸を活用して地域内列の人が交流することができる「にぎわい交流拠点」をつくり出すものです。港・海辺をにぎわいの核として、さらに地域の活性化にも寄与しうる拠点及び空間として、積極的な活用を位置付ける制度です。「かんたん港園」は倉庫街をお洒落に活用した小さなショップやブティック、レストランなどが立ち並んでいます。別府湾の景観を楽しみながら散歩したり、小型犬が楽しめるドッグランがあったりします。
おすすめ周辺観光 高崎山自然動物園・大分マリーンパレス水族館「うみたまご」
高崎山自然動物園は野生のニホンザルが生息しており、間近で観察することができます。餌付けの時間になると、あちこちからサルが寄せ場へ集まってきます。寄せ場では、係員がニホンザルの生態や、習性、出来事などの説明を常時行っていて、高崎山のサルたちの生活を楽しく見学することができます。高崎山の麓にあり、国道10号線を挟んで隣接しているのが大分マリーンパレス水族館「うみたまご」。別府湾に面していて、別府湾の景観と一体化したような近代的な建物が特徴です。セイウチやアゴヒゲアザラシ&ミナミアメリカオットセイ、イルカが繰り広げるパフォーマンスはほのぼのとしていて、楽しめます。高崎山自然動物園と大分マリーンパレス水族館「うみたまご」は二つ一緒に訪れることがおすすめ。別府湾と別府の町並み、大分の臨海工業地帯の工場群の景観とともに動物たちとの触れ合いを楽しむことができます。
ちょっと足を延ばして エクスカーション
別府湾を一望! 別府ロープウェー
別府と由布院の2大温泉地の中間にある標高1,375mの鶴見岳は別府の豊かな温泉の源になっている山です。鶴見岳の山頂へのロープウェーを運行しているのが別府ロープウェーです。山頂まではわずか10分。山頂からは別府湾と別府の街並みを一望することができて、更に晴れている日には遠く四国を見ることができます。また「九州の屋根」くじゅう連山の山々も一望することができます。春は桜、夏はミヤマキリシマ、秋は紅葉、冬は樹氷と四季折々の景観を楽しむことができます。温泉とともに自然景観を楽しむことができます。
臼杵城下町
臼杵は佐賀関フェリーターミナルから車で約30分のところにある日豊海岸に面した城下町。戦国時代にキリシタン大名大友宗麟が丹生島城(臼杵城)を築城して、南蛮貿易で栄え、南蛮文化が花開きました。江戸時代になると稲葉家5万石の城下町として栄えました。現在も当時の町割りが残されていて、当時の面影をしのぶことができる歴史情緒あふれる街並みが残されています。特に二王座の歴史の道は狭い路地のいたるところに城下町特有の面影が残っていて、高い石垣、重厚感のある瓦屋根、白壁の建物や多くの寺院が坂道沿いに長く続いています。「尾道三部作」などで一世を風靡した故・大林宣彦監督が現在も歌い継がれている名曲「なごり雪」をモチーフにした同名のタイトルの映画の撮影地にもなりました。