伊賀流の忍者とは?
伊賀の忍者とはいったいどういった人たちでしょうか。はっきりとした史料は残されていないのですが、伊賀の忍者は、鎌倉時代に荘園の中で発生した「悪党」に起源を求めることができるといわれています。伊賀には奈良時代以降、東大寺や興福寺といった奈良の大寺院の荘園が多数ありました。「悪党」はもともとは土着している地主のような人たちの中で荘園に対して反抗的な行動をとっていた人たちのことです。中には修験道にも関わっていた人たちもいて、山伏の戦法を学んで先達として各地を巡る際に情報収集を行っていたともいわれています。伊賀には修験に関わる地が多く、役行者信仰も盛んであったと言われています。室町時代に入り、寺社勢力が衰退していくと今度は「悪党」の流れを組む地侍が登場します。古記録にも「伊賀衆」として登場して周辺の戦国大名に仕えました。「伊賀衆」が忍びと呼ばれるようになるのはこの頃からです。江戸時代になり、藤堂家の藩政になると「伊賀者」として参勤交代の際の護衛や情報収集などの任務にあたることとなりました。忍術伝書は現在でも伊賀の旧家では大事に保管されているところもあり、現在に伝えられているとのことです。
黒沢明監督の映画の舞台にもなった伊賀上野城
伊賀上野城は天正13年(1585)に筒井定次によって築城されました。その後、江戸時代になると伊代国(現在の愛媛県)宇和島城主であった藤堂高虎が入城して、以後、明治維新まで藤堂家が治めました。現在の城郭は藤堂高虎が入城した後、築かれました。当時は五層の天守閣があったそうですが、災害によって倒壊。現在残されている天守閣は昭和10年(1935)に当時の地元の代議士が私財を投じて建てたものです。本丸の西側に築かれた高石垣は高さ30メートルにもおよび、黒沢明監督の映画「影武者」やテレビのドラマロケ地に使われているとのことです。
忍者のことがすべてわかる。伊賀流忍者博物館
室内に様々な仕掛けやからくりが仕掛けられている「伊賀流忍者屋敷」ではくノ一に扮した係員が仕掛けやからくりを実演しながら案内していただけます。「忍術体験館」ではどのようにして気づかれることなく潜入して脱出したのかを紹介しています。約400点以上にのぼる手裏剣をはじめ忍術に使われた道具が展示されています。「忍者伝承館」では忍術について学ぶことができて忍者の古文書の内容が解説されています。日常生活にも活かせる忍術の知識などにも出会えるかもしれません。
クルーズ寄港地、四日市から訪ねる
ダイヤモンド・プリンセスなどクルーズ船の寄港も増えている四日市。四日市から伊賀上野へのオプショナルツアーも組まれています。公共交通機関での移動はJR関西本線で四日市駅から快速に乗車、亀山駅で乗換。伊賀上野駅で下車になります。所要時間は約1時間15分、運賃は片道970円です。