飫肥藩と城下町
飫肥藩は天正16年(1588)から明治維新まで約280年間伊東氏5万1千石の城下町として栄えました。伊東氏は安土桃山時代にキリシタン大名大友宗麟が中心となって派遣された天正遣欧少年使節で派遣された4名のうち、伊東マンショを輩出した氏族です。城下町は現在も武家屋敷を象徴する門構え、風情ある石垣、漆喰塀が残る町並みが残されていて昭和52年に重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。市内には昭和53年に復元された大手門をはじめ、伊東家の歴史を綴る貴重な資料が展示されている歴史資料館がある飫肥城を中心に城下町では商人町通りには樽を店頭に置いた商家や、格子に壁燈籠、番傘を飾った商家が軒を連ね、町を流れる堀割の清流など、江戸時代の面影を残した街並みを楽しむことができます。レンタサイクルがあって自転車で観光を楽しむことができます。
飫肥城下町の中心、飫肥城
飫肥に限った事ではないですが城下町の中心となるのはやはりお城です。飫肥城の築城は戦国初期に築城されたといわれています。明治維新まで伊東氏が治め、飫肥城はその拠点となりました。飫肥城本丸跡には藩校であった振徳堂を前身とする日南市立飫肥小学校が建てられています。伊東家ゆかりの資料を展示する歴史資料館や江戸時代初期の書院造の御殿を復元した「松尾の丸」、「癒しの森」と呼ばれる旧本丸跡が見どころです。
飫肥城下町「食べあるき・町あるき」
飫肥城下町「食べあるき・町あるき」は36店舗から好きな食べ物やお土産に交換できるチケットが5枚付いて、商家資料館、旧山本猪平家、旧高橋源次郎家の3館に入館が含まれていて700円です。更に飫肥城歴史資料館、松尾の丸、豫章館、小村記念館まで全入館料が含まれてたものもあってこちらは1100円。飫肥城下町を食べたり学んだりしながら楽しむことができます。地図もついています。購入は飫肥城観光駐車場と飫肥城由緒施設の各窓口でできます。
飫肥が生んだ名外交官、小村寿太郎
飫肥出身の偉人といえば小村寿太郎です。日露戦争終戦後、ポーツマス条約の締結にあたり日本の全権大使としてロシアを講和に臨みました。また江戸時代末期に開国にあたって日本が各国と締結を余儀なくされていた不平等条約の解消に向けて各国と交渉にあたったのが彼です。市内には彼の出生地をはじめ功績を称える記念館もあります。
油津発着の寄港地観光ツアーで飫肥城下町を訪ねるツアーも設定があります。ぜひ参加されて南国でタイムスリップを満喫してください。