西日本豪雨復興応援 :旧軍港の港町 呉

旧海軍の要衝として栄えた町、呉

平成30年7月に西日本各地を襲った豪雨により瀬戸内海に面した呉市も甚大な被害を受けました。鉄道網が寸断されて陸の孤島となり、断水や停電などに見舞われました。広島県の南西部に位置する呉市は瀬戸内海に面する陸地部と島嶼部からなります。明治22年の旧呉鎮守府開庁とともに海軍工廠や関連施設が次々に建設されました。昭和16年には戦艦「大和」が建造されるなど、日本一の海軍工廠を有するまちとして発展しました。太平洋戦争の開戦となった真珠湾攻撃の際に連合艦隊は呉から出港、また戦艦大和の最後の出撃もこの港からでした。市内には当時をしのばせる建物も残されています。

「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち~」

日本海軍の鎮守府が置かれた横須賀、佐世保、舞鶴とともに呉「「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち~」というテーマで文化庁の日本遺産に登録されています。現在は海上自衛隊呉地方総監部庁舎として使われている旧呉鎮守府庁舎は1907(明治40)年に竣工したレンガ石造の建物です。また「大和ミュージアム」では戦艦「大和」設計図面、10分の1戦艦「大和」をご覧いただけます。「歴史の見える丘」からは旧呉海軍工廠のドックの大屋根を見ることができます。

荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」

また呉市は「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」のテーマでも日本遺産に登録されています。江戸時代に、北海道・東北・北陸と西日本を結んだ西廻り航路は経済の大動脈であり、この航路を利用した商船は北前船と呼ばれました。日本海や瀬戸内海沿岸に残る数多くの寄港地・船主集落は、北前船の寄港で栄えた港町の面影を今も残しています。呉市は酒田や函館、秋田、新潟などとともに日本遺産を構成する都市の一つとして登録されています。国の重要伝統的建造物保存地区に指定されている「呉市豊町御手洗伝統的建造物群保存地区」は江戸時代中頃から幕末にかけて形成されていった町の形態や構造が残されています。近世から近代にかけての伝統的建造物とともに高燈籠や雁木等の歴史的な港湾関係遺構も保存されいて近世における西廻り航路の発展によって栄えた瀬戸内海の港町としての歴史的風致をよく残しています。

広島寄港中に呉に足を延ばそう

近世には海運の中心として栄えて、明治維新以降は海軍の重要拠点として栄えた町、呉。歴史を感じさせる建物も残されている街です。広島をはじめ、瀬戸内海沿岸の都市にクルーズで寄港した際には足を延ばしていただき、「日本の近代化」を感じてみてはいかがでしょうか。

瀬戸内海に寄港するクルーズはこちらから

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スイスを中心にヨーロッパ各地を 鉄道パスを使って旅してきました。 近頃は日本の良さも改めて見直していて、 「日本再発見」に目覚めています。

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