クルーズ寄港で湧く石巻港
2011年3月の東日本大震災は石巻でも大きな被害をもたらしました。現在もまだ復興の途上ではありますが、近年、石巻港でダイヤモンド・プリンセスなどのクルーズ船の入港が相次いでいます。ひとりでも多くの方に訪れていただいて石巻を拠点に観光を楽しんでいただいて活性化につながればと願っています。石巻港発着の寄港地観光ツアーが組まれている世界遺産の平泉について紹介します。
世界遺産 平泉
平泉は「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」という資産名で平成23年(2011年)に世界遺産に登録されました。構成資産となっているのは中尊寺、毛越寺、歓自在王院跡、無量光院跡、金鶏山です。浄土思想の考え方に基づいて造営された寺院や庭園、遺跡群が良好に保存されていることが評価されています。阿弥陀如来の極楽浄土信仰を中心とする浄土思想に基づいて現世における極楽浄土の空間的表現を創りだそうとしたものとした独特の表現であると評価されています。
奥州藤原氏の栄華を伝える中尊寺
構成資産の中で最も有名なのが金色堂で有名な中尊寺です。中尊寺は嘉祥3年に円仁(慈覚大師)が関山弘台寿院を開創したのが始まりとされています。その後、後三年の役を経て東北地方一帯を統治することになった奥州藤原氏の初代藤原清衡によって大規模な堂塔の造営が行われました。以後奥州藤原氏の庇護を受けて、平泉は栄え、中尊寺も寺勢を拡大していきました。源頼朝と対立した源義経を保護した藤原秀衡が他界すると、後を継いだ泰衡は頼朝を恐れ、義経を自害に追い込みました。その後、文治五年(1189年)に泰衡は頼朝に討伐されて奥州藤原氏は滅亡しました。奥州藤原氏の庇護を失った中尊寺は次第に衰退していきますが、金色堂をはじめとする文化遺産が受け継がれていて、平安時代の仏教美術の宝庫とされています。
奥州藤原氏の当主が永眠する金色堂
金色堂は天治元年(1124年)に藤原清衡によって建立されました。清衡が当時の工芸技術を集約して極楽浄土を具現化しようとして建てた建物です。内陣は夜光貝を用いた螺鈿細工や象牙、宝石で飾られています。また須弥壇の中心には本尊の阿弥陀如来、両脇に観音菩薩、勢至菩薩、更に六体の地蔵菩薩、増長天、持国天を従えています。堂内には藤原清衡、基衡、秀衡、泰衡の四代の奥州藤原氏の当主が永眠しています。
石巻からは列車の本数も少なく、クルーズ寄港の際は寄港地観光ツアーに参加することがお薦めです。来世での極楽浄土を願って現世に具現化しようとした平安時代の人々の信仰に触れることができます。